全国の郷倉

 江戸時代、国内には各村々に郷倉が造られたと言われています。現在(2024年)、瀬名の郷倉のように現存している郷倉を調べてみました。参考にさせていただいたのは、岡山大学名誉教授の馬場俊介氏が管理されているサイト、『近世以前の土木・産業遺産』の中の「郷倉」です。「郷倉」ページの副題は【都道府県別データ一覧にあるCランク以上の郷倉(氷室・農具小屋を含む)】です。


新潟県

佐渡市 泉甲(いずみかぶと)の郷倉

佐渡市 有形文化財

出典 佐渡市のHP>佐渡の文化財 以下転載

 郷倉の成立時期は不明であるが、元禄4年(1691)から記録が残り、同7年(1694)の記録によると、約240ヵ村ある佐渡島内に96ヵ所の郷倉があったという。

 当時の百姓は定められた日に郷倉へ年貢米を運び、相川から来た目付・地方役人が見守る中、名主や米見、斗捧の立合で米を計り、中札を付けて倉に納め、さらに必要に応じて相川・夷・大石・河原田の倉にも納めていたとされる。

 この郷倉は元々両津地区の旧上横山村の郷倉であったが、明治期に個人の所有に帰し、納屋として利用された後、旧金井町へ寄付されたものである。移転の際に補修は行われているが、柱など部材の多くは以前からのものが使用されている。  この郷倉は全国的にも希少な明治期以前のものであり、年貢納めの慣例を伝えている。 

新潟県 佐渡の郷倉
新潟県 佐渡の郷倉

データと画像は佐渡市のHPより転載させていただきました。 更新日:2021年3月1日更新



群馬県

前橋市 上泉町(かみいずみまち)の郷蔵

前橋市史跡

出典 ブログ『上州まったり紀行』<前橋市上泉町・上泉郷蔵 October 12, 2011

  

 郷蔵は江戸時代、年貢を一時的に貯蔵するために造られたもので、上泉郷蔵は寛政8年(1796年)に造られた土蔵。間口8間(14.4m)奥行3間(5.4m)の平家の切妻屋根、土壁造り。もともとは萱葺きであったが、寛政5年(1858年)に瓦葺きになっている。 郷蔵は県内各地に造られたが、現在残っているものは3例のみ。上泉郷蔵は明治42年(1909年)まで実際に使用されていた。また、関係する古文書も豊富にあり、その経緯等を知ることができる。

 もともとこの辺りは上泉城があったところで、この郷蔵はその本丸跡に建っている。そうすると、寛政8年(1796年)にはもう城はなかったことになる。 すぐ隣には上泉町自治会館があり、前回の西林寺で紹介した上泉信綱の銅像が建っている。※画像をクリックすると拡大します。

 

前橋市上泉町の郷蔵正面
前橋市上泉町の郷蔵正面
前橋市上泉町の郷蔵背面
前橋市上泉町の郷蔵背面


伊勢崎市 島村の板倉(しまむらのいたぐら)

伊勢崎市指定重要文化財 (個人宅にある)

出典 伊勢崎市のHP>島村の板倉

 

 この板倉の内壁右面に「上野国佐位郡島村 栗原清右衛門、三ッ小屋 大工 伊八、 久保同 文四郎」、また左面に「天明弐壬寅極月吉日」の墨書銘がある。造りは落とし羽目板式で、四方板囲い、床は板張りである。大きさは正面9尺(2.7メートル)、奥行6尺(1.8メートル)、内部は5室に仕切られ、最大90俵の穀物が入る。

 

写真2点は 『日本すきま漫遊記』島村の板倉 (2012年12月28日訪問)

 より転載させていただきました。

※画像をクリックすると拡大します。

 

伊勢崎市島村の板倉
伊勢崎市島村の板倉
伊勢崎市(旧 境町)島村の板蔵 説明板
伊勢崎市(旧 境町)島村の板蔵 説明板


渋川市 北橘町・小室の郷蔵(ほっきつまち・こむろのごうぐら)

渋川市指定重要文化財

出典 渋川市観光情報 郷蔵

昭和55年10月1日指定、(平成16年3月31日再建)  郷蔵とは、江戸時代の各村に作られた年貢米の一時的な保管倉庫で、のちには飢饉に備えた穀物の貯蔵倉としても利用されました。 この郷蔵の確かな建造時代はわかりませんが、他村の例から考えると、この地域が前橋藩領だった時代、とくに酒井氏が藩主だった頃(寛延2年以前)ではないかと考えられています。間口3間半、奥行3間半で土壁造りのこじんまりとした建物です。もともと各村にあったはずですが、旧北橘村地区ではこの郷蔵のみが現存し、県内でも6例が残るだけの貴重な建造物です。

 

画像2点 出典『上州まったり紀行』

渋川市北橘町小室・小室郷蔵 December 01, 2018

渋川市北橘町 小室の郷蔵(正面)
渋川市北橘町 小室の郷蔵(正面)
渋川市北橘町 小室の郷蔵(側面)
渋川市北橘町 小室の郷蔵(側面)


片品村 幡谷郷倉(かたしなむら はたやごうぐら)

片品村重要文化財

出典 奥利根ゆけむり街道 幡谷郷倉

 

  郷倉は飢饉に備え穀物を貯えておく倉である。徳川の世、天明の時代(1700)には年々、天災が続き、食に事欠く有様で餓死者が続出した。幕府はその後、食糧貯蔵の命を出し、各村之に郷倉の設置をさせ、貯蔵に適した麦、稗を一定量貯えることとした。片品では代官の命で文化8年(1811)各村々に一棟が建てられている。一倉に十石ほどであったという。現存しているのは村内では、幡谷と越本の二棟である。

片品村 幡谷郷倉
片品村 幡谷郷倉


片品村 上而郷倉 (かたしなむら うわでごうぐら)

片品村指定重要文化財

出典 WEB GUNMA 上而郷倉

 

 上而郷倉(うわでごうぐら)は、過去に何回か建替えられ、現存のものは軒木に明治13年(1880年)第四月戊子日午上向謹え造立とあり明治のものです。その後、昭和6年に道路拡張のため移設され、昭和24年に萱屋根葺き替え、昭和31年に瓦葺に改修が行われ現在に至っています。 郷倉は飢饉に備え穀物を貯蔵しておいた倉で、天明の飢饉後、幕府は全国に郷倉を作らせました。貯蔵する穀物は稗(ひえ)が一番貯蔵が利くことから、毎年各村に一定量の稗あるいは麦を貯蔵することになり、片品村では文化8年(1811年)代官の通達によって各大字に郷倉を建てることになりました。

片品村 上而郷倉
片品村 上而郷倉

福島県

川内村 郷倉